福祉職場は人と人とのつながりの大切さを感じます
保育職場に勤務して30年以上たちました。昨年リフレッシュ休暇をいただき何か感慨深いものがあります。
保育の現場は国や名古屋市の予算で成り立っていて今、条件がとってもきびしくなっていますが、職場の仲間や理事会とともにより良いものを探りながら仕事をしています。体力も気力もいる職場ですが、子どもたちの笑顔と保育士を慕ってくれる姿にやりがいを感じます。
保育内容の充実に30年たった今でも努力しなくてはいけないと思うこともあり、反省も力不足もいっぱい感じますが、お迎えに来たお母さんに「先生の顔をみるとホッとします。」と言われたりするとなんだか働き続けてきて良かったとこちらが励みになります。
今子育てでたくさん悩みを抱えている親のかたが多く、子育て支援がさけばれているので余計に仕事のやりがいを感じます。福祉職場は人と人とのつながりの大切さを感じます。
最低基準は「ナショナル・ミニマム」、国が責任を持つべき
憲法25条1項には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれています。
福祉施設や保育所の最低基準は、子どもや障害者、高齢者の「安心・安全」を守るために必要な最低限度の職員配置基準や面積基準であり、都市部であろうが郡部であろうが、人が「安心・安全」に生活する基準に違いはないはずです。
しかし、今、地本分権推進委員会での議論のなかで、保育所や福祉施設の面積基準を各地方自治体が定めるようにすべきだとの意見が出てきています。
「権限と財源を地方に移譲し、自治体の実情にあわせ施策を展開できる」そんな口実で現在すすめられている地方分権によって、各地では福祉・保育への補助金削減が相次いでいます。こういった状況のもとで、面積基準を各自治体が自由に定めるようになれば、今以上に狭い空間に子どもたちが押し込まれることになります。また、面積基準の次は職員配置基準となし崩し的に最低基準が崩壊していく危険があります。
待機児童の問題や福祉の人材難は最低基準を国が定めているから起こっているのではありません。国や自治体が「安上がりの福祉」にしようと、補助金を削減したり、基準を廃したりしているから起きているのです。
利用者・保護者にとっても、最低基準のなし崩しにメリットはありません。
私たち福祉保育労は、国の責任による最低基準の抜本的な改善と補助金の増額を求めて運動をつくっていきます。